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2006年11月22日

勇気ある停滞、退行こそが、右肩上がり経済の破綻を乗り切る。

http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060118/1137558108
こう考えると、そもそも、ソフトウェア開発を外注に出すというのは、そもそもかなり無理のある話なのだ。

だって、オレたち凡人には、そもそも、そんなもんムリだもん。Intellectual Capacityが違いすぎるんだってばさ。
さらに深刻なことは、これが、IT業界に限った話ではすまされない時代に突入しようとしているということだ。この、ムチャなレオナルドダビンチ化要求を突きつけられるのは、ITやマーケティングだけでなく、法務、ファイナンス、マネージメント、語学などの領域にもどんどん広がっている。

外注警鐘として。
世の中全体の複雑怪奇化についても。

後者は5年前から強く警鐘してきた。明らかに後の世代ほど業務維持が大変なのだ。
割に合わない。しかも大量のリタイヤ老人のお世話まである。
長年続く膨大老年人口をどう機械的効率的に処理し乗り切るか。早くも介護士輸入は始まっているけれど。
セレモニーホールは町中に溢れかえってるから供給安定だろう。

チャールズチャップリンの映画で皮肉られたように、細部まで分割された作業工程と分業と大量生産は、働いている人間に、自分がやっている仕事の全体像についての視界を奪い、まるで自分が社会という巨大な自動機械の歯車に過ぎないかのような非人間的な、いわゆる疎外感をもたらした。
それまで、町の鍛冶屋は、自分がつくったクワやカマを使う人間の顔を思い浮かべながら、鉄をたたき、汗を流していた。妻は夫の顔を思い浮かべながら、はたを織り、着物を縫った。そして、実際に使われる人の喜ぶ顔を見たし、息づかいを感じた。それが、労働の意味そのものだった。

「ほどほどのダビンチ化」を社会の構成員一人一人が行うことが、社会という有機体が落ち着くべき「落としどころ」であるということが理解される日が来る。

勇気ある停滞、退行こそが、右肩上がり経済の破綻を乗り切る。

投稿者 大尉 : 2006年11月22日 11:07

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