« 2003年10月 | メイン | 2004年11月 »
2004年03月30日
絶対冤罪だろうこれは
仙台・筋弛緩剤混入事件。
検察や警察が結託し、なんでも都合よく解釈して、
捏造すれすれの証拠固めをするのはもはや、常套手段といっていい。
これは、検挙ビジネスが成立しているからだ。
件数を挙げろという命令。
このために、
「どうせ多くの国民がいるんだから、少々不審な奴は冤罪すれすれで成績のために罪にしてもかまわん。」
という風潮が出来上がっている。
ただでさえ、別件逮捕など、角が立つ人間には冤罪や
しつこいマークを欠かさない組織のやることだ。
私とて、現在見えない攻撃の件で工作員に張り付かれているが
その中には公安警察や自衛隊も大きくかかわっている。
我々国民は、言いがかりをつけられて罪人にされるために存在しているとも言える。
交通反則切符から大掛かりな冤罪、ストーキングによる不可視の波動攻撃にいたるまで。
ここの所の政局的な流れは、警察や自衛隊の権力拡大、
ともすれば暴走へと繋がる危険性をはらんでいる。
因果律を操作して、自分たちの都合のいいように運命を組む連中と
結託している気配もあるから、さらに厄介といえる。
まずは警察機関を疑え、次に防衛機関、といったところか。
たった今も攻撃で苦しんでいる被害者の、シックスセンスがそう警告している。
また、今回の裁判の流れは、身内をかばう悪い風潮も絡んでいる。
裁判所が、検察が捏造した内容を決定付けてしまうためのスピード進行に
協力しているということだ。
こと、最近の警察や検察、司法関係というのは
実態を知れば知るほど空しく、物悲しくなってくる。
中国のように路上で公然と賄賂を要求されるよりはまし、ととれなくもないが
比較論ではなく、こういう機関こそが極めて健康的に正常機能していてほしいものだと
誰もが思っているだろうに。
2004年03月28日
お金の価値
月収30万以内の給料取りの、普通の暮らしだからこそ、
受け取ってしまう。
無一文で先行きを絶たれたからこそ、
受け取る気にならない。
今日はお金というものについて、そういう再確認というか、勉強をした。
歩道から車道から、契約書まみれだった。
先へ進むほど紙だらけで、最後にはビジネスバッグが落ちていた。
金もいっぱい入っていた。保険屋さんらしい。
あせった。
銀行券は紙にしか見えなかったが、これを手付かずとわかる状態で引き渡さなくては。
警察か、持ち主に。
110番か。でも携帯電話ないし、公衆電話もない。
あれこれ考えながら、連絡先が書いてあるものが無いか中身をあさっていると、
白いセダンがやってきて、パンチ男さんが。
落とし主らしい。
何よりまずバッグを渡し、紙切れを拾ってやる。
あとは、逃げるように立ち去った。
諭吉一枚握らせようとしたけど、挨拶だけして逃げおおせた。
私の日ごろの加害者は、因果を自由に組める、神業の持ち主だ。
この男が、バッグを落とすように仕向けたのかも知れない。
だとすればむしろ、彼は被害者ではないか。
私の身の回りに厄災を起こされる。犠牲者の数も馬鹿にはならない。
(件数は増加せず、一般の事故としてしか見えないのだけども)
そういう意味で、あらゆる人に対して引け目も持って無くはない。
否、彼も公安とかそのへんの要員で、単に生活資金の補充を
させたかっただけかも知れない。
こんなことが発想できてしまう私には、余計にこの一件を金絡みにすることはできなかった。
都内で普通に暮らしていたら、小遣いの足しにもらっていただろう。
バイクのオイル代か、電化製品の資金か。
しかし今は、先がない。
あきらめて死ぬか、
生き続けるしろ、収入を持てずに衣食住を他者に頼り、
見えない攻撃や付きまといを受け続けるか。
要は普通の暮らしや将来がありえないのに、はした金なぞもらっても意味は薄い。
ただでさえ、
私だけ助かったとて(被害がぴたっと収まったとて)、意味などないのだ。
私のシックスセンスが、この世界の空気が平穏になったと
私に安堵感をもたらしてくれない限りは。
被害をもたらす存在が皆無になるか、極めて弱体化しない限りは。
とにもかくにも、
紙を拾い集めることで運動になり、
偽善を通したことで精神衛生にも改善が見られた。
それだけでも、全然よかった。
まあ、ネガティブを見れば、
それだけ今の私にとって、死など
死に方の面倒や苦痛程度を考慮する程度の価値でしかない
ということなのだけど。
苦痛に満ちた死に方をするほどの事をした覚えが無いし、
説得力のある通告を正式にされたことも無い。
だから、楽な死に方で、身体を損壊させないですむ方法がいい。
ただそれだけのこと。
生と死が等価値。
だから、多少生き長らえる金など、何の意味があるだろうか、
いやない。(反語)
そういや、古文漢文だけなら東大ももしやだったなあ、と思い出した。
この辺の進路面とかも、すでに周囲の人間を操られて
進学不可能なように誘導されていった可能性が
このところ思い起こしながら客観分析するにつれ、高いことがわかる。
私が私という人間である限り、こうした見えない不幸誘導は続く。
(現に30年間続いた)
魂が基準ならば、次の人生(転生後)も同じような仕打ちを受けるかもしれない。
だから正直、もう二度とこの世に生を受けたくない。
【まとめ】
結局、大変なのはこれからを普通の社会人や学生として
生きていかなくてはいけない人たちなのだ。
(私など、渦中に巻き込まれたとはいえ、すでに人生を投げた人間だ。)
洗脳され、時に体を操られて工作活動を強要されるか無自覚に行わされ
要は、見えない力をもって世界支配をもくろむ連中に、時に利用され、
時に苦しめられなくてはいけない。
地位財産、家族親戚、知人友人。
何より、命。
そして、幸福や不幸。
すべてを気ままに操れる、子供のような悪の支配者。
マンガのようでも実在するこやつに振り回されるのが、
これからのこの世界であり、そこに住む生物たちなのだ。
どうしたほうがいいとか、とても一概には言えない。
ただ、二つの生き方があるだろう。
無茶を飲んで、悪に従って生きるか。(西部劇のように)
どこまでも孤立孤独、周囲に不幸や災難が満ちようとも抗って見せるか。(ちょっとターミネーター2)
2004年03月27日
アケボノ
2003年大晦日に秒殺された、元横綱・曙。
K1グランプリで、武蔵と2度目のK1に望んだ。
見ていて思うのは、K1スタイルの格闘、もっと言えばリングファイトに慣れていないこと。
せっかくの、小柄の武蔵の打撃が全く効かないほどの分厚い脂肪の鎧が、
生かされていない。じっとしていることが多い。
そして、同様の理由から、決め手を持っていない。
どんな技で攻め込むか悩んで、攻めていけないように見えた。
たまにヒットする打撃は、ものすごい。
100キロの武蔵が吹っ飛んでいる。
ウェイトだけで見れば、この二人が戦うこと自体がアンフェアだ。
相撲は殴れず蹴れず、ひざをつかせるか土俵の外へ押し出すか。
この特殊な競技の出身である以上、
ボクシングやプロレスなどのリング系格闘技の場数を踏んで、
ルールやフローを学ぶしかないような気もする。
とは言ったものの、今回は前回のボブサップ戦と違って見ごたえがあった。
次は厳しいかもしれないが、それ以降は勝てる選手になるんじゃないだろうか。
出版業界への弾圧
不況と活字の電子化で、出版が伸び悩み、これに乗じて
出版系報道誌に圧力がかかっている傾向。
こう、マスコミ自身が分析している。
文芸春秋、そして噂の真相。
こうした雑誌は芸能人などの過剰スクープ傾向もあったが、
政界の暗部に突っ込んだ功績もあるという。
なるほどな、と思った。
私が、政治の世界も絡んで
嫌がらせや不可視的攻撃、苦痛の大きい洗脳を受け続けている中で
しかもこうした流れがメジャー化している中で、
さらに出版系がこのようなありさま。
まったくこのままで、世界はどうなってしまうんだと。
間違いなく言える事は、一見高みから加害者として笑ったり
見ない振りしていても、利用される側である可能性が否定できないこと。
洗脳され、本来悪魔の所業とされることを、正当化するように仕向けられていること。
とりあえず、私のような者でも納得できる平穏な世界になってくれよと。
左脳的明晰さはそれほどでもないが、
直感的、霊感的な世界の雰囲気の感じ取り方なら、多少は当てになるから。
イヌイタクミ
仮面ライダー555の主人公。
この役者の半田氏との共通点を、VTRの検索中に見つけた。
額のイボの位置が同じ。チャクラなんかがいい感じの。
まったく、視線だけで周囲を索敵する木場といい、何でこうも共通点が。
2004年03月26日
平和が続く者、奪われて真実を知る者
2ちゃんねるで妨害なく永続的に固定ハンドルネームを名乗れるということは、多くの場合
運営サイドに所属するサクラということだと思う。
もしくは無害温厚で使いやすい素人。
つまりあそこの裏の性質上、公安系や宗教系マフィア系その他の、組織工作に内包加担されることでもあるのだろう。
かつて、バイクでサーキットを走る仲間として、その固定ハンドルネームたちと
集って走っていた。彼らの多くは今でも変わらず2ちゃんねるで固定ハンドルネームを持ち、
同じようにサーキットを走っているのが、各々の開設しているサイトでわかる。
彼らは、私の顛末を知っているのか。
知っていてなお、ああして変わらず走っているならば、冷酷な奴らだ。
知らずに2ちゃんねるに関わり続けているならば、身を引くよう勧めたいところだが。
間違いなく、我が弟を死に追いやり、家族を狂人にした挙句殺人集団の手先にしてしまい、
私を今も見えない攻撃で苦しめている一団は、
あそこの運営サイドと連絡を取り合い、個人情報を収集、交換し合っているだろう。
ああした匿名掲示板の多くはそうした諜報目的が、影にあるようだから。
仲間の一人は、私の写真をたくさん撮った挙句に、結局一枚も持っては来なかった。
多分、諜報の側に売り渡したか、そう命じられていたのだろう。
まあとにかく、かつての仲間内が(一部の相手は裏でどう思ってたか知らないが)
バイクで走ってる姿の画像なんかまであるのをみていて、色々複雑な思いが交錯した。
ベルセルク
白泉社「ヤングアニマル」掲載のマンガ(過去にアニメ化)
ついに、雑誌掲載版では神の正体を描写したようだ。(コミックでは削除)
人が望んだから生み出され、それは悪魔とも同一で、人々の心の中に同じものが巣くい、神とは繋がっている、というような概念。
ベヘリットは、たとえ捨てても必ず、所有者の下へと帰ってくる。
どうあがこうが逃れられない「因果」という概念を描いているこの作品はやはり神をこう描写したのかと、納得してしまった。
この原作者もまた、望まずして預言者にされていたのだろう。
有難い
アニメに多く見られ、テレビなど映像全般あらゆる表現媒体でみられる異常現象。
私の個人生活を監視した上で収集した個人情報が作品のネタにされてしまうこと。
テント暮らしをすればテント暮らしのヒロインが登場したり、
忘れた頃に刺客がやってくれば、そういう災難に立ち向かう剣豪が出てきたり。
米粒を落として拾い上げれば、イトーヨーカドーのCMがそれになり
怪物くんがピキピキドカーンのイメージを思い起こしていたらNOVAうさぎCMがそのバージョンになる。
などなど、数限りない。
多くは無自覚なまま、あるいは言われるがままに
テロリストの悪意を伝えるメッセンジャー役をこなしたと思われる。
思いつきが他人に吹き込まれているのだとは思いもしないから無理からぬことではあるのだけど、
こうした”思考記憶の外部からの操作”はもう現実的な技術として悪用されていることはそろそろ広まって欲しい。
場合により現場に圧力がかかってる形跡もあるんだけど。
いずれの場合も、抗いにくいのが特徴。それだけ権力をもった勢力が暗躍しているからだ。
しかし、ごく少数ながら、自重の動きもあったように感じた。
その中でもさらに少数ながら、個人裁量でそれを実行したと思われるいくつかの例もあった。
数少ない、ありがたみ。
これからの世代が抱える絶望
私はもう、半生は生きた実感があるし、その人生はほとんど
政府機関などの複合体による犯罪集団の工作によって一族ぐるみで汚され、妨害されてきた。犠牲者も出たさ。
これからもそれが続く以上、希望など持てようはずもない。
私はまだいい。しかし、今時点で赤ん坊や、幼い子供である世代はどうなる?
工作員をやそれを指揮する者、子供に顔向けできるのか。
悪魔に心を蝕まれるに任せ、その代償に快楽を享受する禍々しき存在たち。
自分たちの種の今後を脅かしてまで、自分たちの快楽を追及するのか。
せめてこれからの世代には、だらしない先達を払いのけてたくましく生きる、そんな世代になってほしいところだ。
魔界を浄化するくらいのバイタリティを発揮するような。
幼シンジの前でユイと話すゲンドウの気分。
2004年03月24日
プリキュア 続き
どれみが小学生だったのに、プリキュアは中学生だから大人っぽくて子供には受けないんじゃないか。
そう考えても、セーラームーンだって中学生だった。ぴちぴちピッチも同じだ。
しかし両者にはある共通点がある。中学生を意識しないキャラクター作りだ。
お子様向けのコミカルさやチャラチャラさといった、キャラのデフォルメのほうが目立つ。
(例:月野うさぎ)
描写も、プライベートタイムの方が多い。
そして、事実上の仲良しサークルとなって、多くのシーンで一緒にいる。
よって、登場キャラが高年齢だから低年齢には受けないというのは成立しない。
セーラームーンは子供にとって「なってみたい」存在であり、「欲しいアイテム」を振りかざしていたのだろう。
それが青年から成人の男性にも受けたに過ぎない。
セーラームーンに流れる雰囲気は、神秘性。(未来のプリンセス)
あるいはヅカ的な華麗さ。(お城、王子様、華麗な敵)
少女漫画チックとも言える。
ぴちぴちピッチも人魚伝説という神秘性がある。
敵役は若き王と、それに付き従う姫君(一部例外あり)たちだ。
プリキュアにはこうした要素がない。
フツーの女子中学生と、どっちかといえばキューティーハニーや
70年代熱血ロボアニメのような敵役だ。
ハニーの時に、敵に人気あったのかどうか。
まだまだ放映は始まったばかり。
で、それこそ初めはぱっとしなかった名作なんていくらでもある。
ぴちぴちピッチも当初は特にそんな感じだったようだし。
神
神の定義が、思ったことを世界に向けて実現できる存在だとする。
たぶん、人がなってしまったら、何をやってもどこかから文句が来る。
生活や命が脅かされるかもしれない。
あなたなら、神になったらどんなことを実現していくか?
そして、文句ぶーぶー言われてでもなってみたいと思うか?
2004年03月23日
プリキュア玩具に投入されているテクノロジー
プリキュアCMで思ったのが、液晶モニターを持つ玩具の仕様について。
今でも、あんな程度の液晶でなくてはコストダウンが出来ないのかと、ちょっと驚いた。
たまごっちのころと大して変わっていない。
あれだと番組の描写と大分差が開いているけど、
その辺で子供たちの購買意欲はどれだけ影響があるんだろうかと。
一説には、結構売れているとかいないとか。
やはり、高精彩液晶のカギは有機EL液晶のコストダウン次第なんだろうか。
あれなら楽に、カラードット液晶に出来る。
しかし、ドット液晶にCGを表示させるには、ICを高性能化して
データ量を増やさねばならない。
こうして浮かんだ要素で製品化すると、
どうしても現状ではあの程度になってしまうものらしい。
あるいは、現代ロボット工学を駆使して、
筋肉と皮膚を持ち、表情を変化させる人形の技術を駆使して
愛らしいメポーミポーを…もっとコストがかかるか。
というか、そこまでやるとペットントン…具現化によっては気持ち悪いな。
ふたりはプリキュア
「なぎさ、メポってんじゃねーよ」
といったお約束は置いといて
「プリキュア」って、セーラームーンのスタイル踏襲にあまりこだわってないのがメリットでもあり、デメリットにもなっている感じがする。
好対照なのが、「ぴちぴちピッチ」
プリキュアは、ガワ(色やデザイン)はあんまり似てなくて
ピッチはガワだけがけっこう似ている
オリジナル要素の魅力はピッチが上。
キュアは色も設定もストーリーもシックに抑えた分
抑揚が薄かったり、敵が敵でしかなかったり(これもったいない)
思えばセラムンの敵は、やおい、科学者、カマ、などと攻めた挙句
似たもの同士とかに落ち着いて、敵キャラの人気もバカにはなってなかったような。
(元来の視聴者層の子供たちにはどうだったかは知らないが)
リアリティを濃くしているプリキュアは、今後どう展開するのか。
ピーサードが美形キャラとしてあまり描かれず、早々に退散してしまったのは
潔さはあれど、なんだかもったいない。
メポミポのもったいないところは、人前に姿を見せられないところ
自然、登場シーンが減る。
ピッチのエロペンギンですら、あんなスタイルなのに街中をうろついている。
ともすると「さくら と ともよ ふたりはプリキュア」
もしくは「高年齢のどれみがセラムンしてます」
いずれにせよ、じっくりと魅力的コンポに落ち着いて欲しいところ。
2004年03月22日
これからの日本
これからの日本は、極端に言えばイギリスやイタリアになる。
停滞傾向、化学の物質理論で言えば安定傾向である。
それにマッチしたシステムにしていくことで、
あるいはバリュアブルにシステムを見直し改変していけるようになることで、
所属する国民は、老若男女とも充実した生活は送れるはずだ。
要は、今までのように派手な豊かさはもうないもんだと割り切ってしまえばいいと極論付けても良い。
ちょこっと質素で貧しいながらも、暮らしが楽しくなればいいのだ。
しかし、今までが今までだから、なんでも急に変えることは無理がある。
小泉政権は、その意味で結構な負荷を負っているはず。
現状までの日本を変えていく総理としては、そこそこ成果を上げていると思う。
礎、布石の人といえるかもしれない。
急な変化は無理。でも、あまり緩慢にしていたら、ただの先延ばしにしかならなかったり、
機を逃してしまう危険性もある。
前代未聞の舵取り。
それが今後の日本の体制作りとなるだろう。
確実に成果が出るような舵取りが果たして、一般民に理解され、迎合されるようなものなのか。
案外、「何やってんだ」が続いてしまうようなもんじゃないのかと。
見る側にも行う側にも、見る目が要求されそうだ。表の報道だけ見てても駄目。見るだけじゃなく考えないと。
国民年金
CMの江角マキコが、年金保険料未払い者だったという話。
これ、実にいいことだ。
それだけこの制度が、払って当然というほどには頼られていない証なのだから。
昨日もNHKスペシャルがこの特集だったけど、
日本の場合はもはや、高度成長期からバブルまでなんとか続いてきたシステムでは
国家経営が立ち行かないのだろう。
年金に限らず、もっと行政システム全体的にリストラクチャ(減らすという意味ではありませんよ念のため)していかないといずれは無意味に等しいということだ。
仮に、年金保険料が半額になり、受給資格は今までどおりなら状況は良くなるか。
きっと、それほど効果はあがらないだろう。
魅力と合理性と透明性。たったみっつでも評判は上がりはしまいか。
【私にとっての年金】
私は不器用でひ弱で無愛想だから、世に出てずっとフリーターじみた身分で完全自活し、
ついには正体不明の組織的集団に半殺しにされて実家に追いやられた。
それまで全く親族と連絡すらとらず生活したが、年金なんて念頭になかった。
一時はちゃんと、「払えません届」を出していたけど。
まったく一人で生計を立ててみるとよくわかる。
若者の余裕のなさ、夢のなさが。
実家とか、親にたよれる者勝ち。保証人制度が、それに追い討ちをかける。
おかげで一人暮らししてしばらくは、寮伝いしか考えられないほどだった。
これは前述のとおり、個人の特質も多分に影響している。
しかし、諸外国で伝え聞くような一人身での社会へのチャレンジは、日本においては成立しないんじゃないかと思えるくらいだ。
特別な才能や魅力やバックがあれば別だけど、一般人にとっては。
はたして、当たり前に月25万総額で支給されるとして
賞与が年額50万だとして、
若者一人が完全に一人暮らし出来るものだろうか。
この答えが、親元に頼る悪癖がついた日本の若者を生み出している。
もっと、個人が完全に経済的自立できる社会構造にしなくては、たくましい国民(国)はなかなか育たない。
多くが誘導のまま逃げの姿勢に入り、フリーターになってしまう。
フリーターなどの待機的社会人が減れば、人材も育ち、健全な生産社会になる。
だが工業生産は悉く海外へ。けっこう人手が要る農業はまだ効率的経営改善や商品開発が目立たない。
まだやってないこと、やれば劇的に良くなること、たくさんありまっせ。
2004年03月20日
アニメは100年後の芸術となる
と、確信して発言していたのが96年ごろだったか。
その数年後、声優の宮村裕子が全く同じようなことを発言しているのを知った。
いま、明治期の小説はどういう評価位置にあるか。
江戸の版画などの芸術は、庶民娯楽、きわめてミーハーなものではなかったか。
エロ版画などは、表立って公開されてないだけで普通に存在していた。
でも巨匠が育ってないんだ。黎明期の巨匠で終わりそうなんだ。
工房の性格が強くて、弟子はなかなか思い切ってビッグにならないのね。
低予算だし、それでも大きな予算が必要だし。
芸術になる未来には、ファンが黎明期と現在くらいの間で派閥が分かれて争ってんじゃないだろうか。
現在の局面
ほぼ間違いなく言える事。
とある勢力が人間には過ぎた超能力や神業を手にした事で、絵に描いたような暗黒時代、
一つの勢力の思いのままの圧制統治になり始めているということ。静かで気付かれにくい、巧妙だが。
一見文明は進歩し、未来が現実(カタチ)になっていくだろう。
しかし何だか変な、抑圧的な光景があらわになっても来るだろう。例外がいなくなる。以前から、あるいはある日を境に。
何せ偶然はなくなってしまった。そういう妖術が行使されている気配。
誰かの意思で、偶然を仕組めるようになったのだから、不慮の事故も災害も、どれが故意でもおかしくはない。
誰かが誰かへのあてつけのために、地震雷火事、なんでも起こしてしまう時代。
これは魔界である。
こんな状態が長く続けば続くほど、次第に絶望的な仕組みを世間に露呈することとなろう。
因果の秩序を取り戻し、自然(な状態)へ返すこと。
あるいは、然るべき資格と能力を持つ者へと引き継がれること。
これ以外に、世界の、現象宇宙の、秩序回復はありえない。
決められるものではないのに
誰が何に対して凡人で、非凡であるかなんてわからないもの。
ものさし社会の時代だから、えてして標準的に凡人と非凡人が決まってしまうけども、なんだかもったいないことだ。
もっとも我々はそれで納得するように洗脳されている。
納得しないでずっと通してきた私がこうして組織的活動により迫害されているのだから、間違いあるまい。
時代は人間をも、調教された均一的な家畜にしようとしている。文句を言わせない圧力的保守。
2004年03月06日
バイクデザイン挑戦
http://www.geocities.jp/kasumin777/dia1.html
2004 3/6 3/7
GSR400や05’GSX−R1000などと共通点が見られる。特にリア周り。
排気管取り回しはZX-RR(motogp)にも通じる。