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2004年11月30日
Sony メモリースティック
デジカメ、携帯電話などには必需品のメモステ。
新型は、従来よりも動作温度の幅を広げたようだ。
つまり、今までは結構使える温度条件が限られていたことになる。
高級機種は、転送速度をアップさせている。
しかし、対応したハードウェアはまだ皆無。将来性を見込んでの予備買い、といった所か。
しかし素人は以前のホログラムカラーのほうが性能いいと信じちゃうぞ、これでは。
同等品が真っ黒だもの。
2004年11月29日
過去の宝物へのノスタルジー
タイトルだと大げさながら、要は「おもちゃ」
子供から青年期にかけて、おもちゃやプラモデル、ゲームなどあらゆる玩具を
入手できなかったり体験できなかったりすることは、誰にでもある。
で、大抵は大人になってから「大人買い」をして補完する。
アンティーク玩具ショップで高額品を買う、再販品を買う、等等。
私は20代の中でほぼ8割方それを達成したので、昨今事情により品々は放出したが
悔いはそれほどなかった。
つまり、遊ぶに満足した玩具というのは、案外送り出しても心は痛まないものらしい。
共に時間を過ごした思い出が心に残ればそれで良し、なのだろう。
逆に、遊べなかったトラウマはいつまでも、尾を引き続けると。
巷では、大人に玩具を買ってもらうべく市場形成などと格好をつけている。
実際この不況と文明成熟傾向で、何事も売らんかな、商売にしてしまう傾向は強くなっているから、
「今は」それもいいことなのだと割り切られている。
しかし、いつまでたっても財力をいいことに玩具を手放さない
そんなこども大人が増殖し、社会の有力な構成員となることがはたして、
本当にいいことなのだろうか。
ガンプラの一部に未練があるなら、当時の再販品に手を染めたらそれで満足してもいいのではないか。
MGだPGだと、いつまでも手を染めることが万人に浸透していいものか。
商売、財力、いずれも人を歪めたまま温存するという好例を挙げてみた。
2004年11月28日
他人に聞かれた、ガンダムとは何か(一部改稿)
>ところで、最近、逆襲のシャアのDVDを借りて見たのね。
>>なんだか、ちょっと物足りないストーリーのような気がしたんだよね。
>>おいらは、初代のガンダムが一番中身の濃いストーリーのように
>>感じたんだけどさ・・・。岩井君はどうおもう?(詳しそうだったんで)
>>
>>
人それぞれかと思います。
ご覧の通り、サンライズ作品のサイト運営も長いですし、ガンダムシードのサイトもやりましたが、
それぞれの世代でありがたがる部分が異なるし、
Gガンダム以降は女性のためのキャラクター作りが重視されたりしてますので。
私は荒波にもまれた古い世代の、太平洋戦争を作品に反映できるというのは
うらやましいことだと思います。
逆襲のシャアというのはガンダムにあこがれた世代が画面や細かい設定を作ったものです。
Zガンダム以降はどんどんそうやって画面や設定が新世代の作になってきました。
監督はしばらく続きましたが。
サイトをやっていると意見が作品に反映されたりもしますので、
ある意味製作者の一部としてあちらの気持ちが理解できたりもします。
流行は追わねばファンが離れ、お金になりません。
そういう寒い時代になっているというのはあります。(ワッケイン指令じゃありませんが)
何でも金、何でも地位や立場、
時代が進んで洗練されるのは何も技術だけではなく、社会に存在する組織も
その運営方法も、例え悪事や不正でも、なんですね。
洗練されたあらゆる物は運用が面倒で複雑になり、人も物も機械的になるだけです。
様々なものが洗練されたのに、人々はむしろ眼光を失って周囲に追従するばかりです。
別に、立ち位置を確立して光ってる人も居るのは確かですが、そうなれる確率は
どんどん小さくなってますね。
勝ち組になれる人の確率は。
マスが巨大化しすぎたのもその一因でしょう。周囲が何者か、自分が属している
ものが何なのか
判らなくて不安になり、従うしかないと思い込んでしまう。
光ってのし上がれる人はマイノリティです。元来なら1万人に1人というのは存在するかしないかでしたが、
今はそういう人が腐るほど居ます。マイノリティが1%でも百万人。
当然、99%の一億人は歯車というマジョリティですね。
ガンダム最新作。画面を作る技術は最新で、すごいですが、
中身の、ストーリーや人物他の描写の達人はまばらになってしまいました。
人間が、そして洗練してきた文化やシステムが機械的になりすぎて、味のあるス
トーリーが作れないのですね。
それをやると儲からない、で足踏みしている現実もある。
誰もがコミケ、グッズ買い、みたいな右へ倣えですから、そうなってしまうわけです。
売れるものが決まっていて、味があっても売れないものはボツ。
誰もが機械。銀河鉄道さながらです。
劣等でも、変わり者でも、もっと各々が独自性を追求し、そして周囲に対しておおらかであること。
そうした、一見ナンセンスな逆行をしない限り、人は笑いすら機械的なまま進むでしょう。
笑うタイミングすら、常時周囲に合わせなくてはならなくなる、いや一部ではそうなっていますけど。
機械的拝金でなく、生物的幸せを求める。
どこかの勢力が勇気を出してそれを始めないと、次の世紀末はないかもしれません。
ブッシュの次の人と、次の次の総理くらいがそれをやってほしいのですけどね。
あと政教分離は徹底して、宗教法人も企業並みに課税する。これも絶対に。
不透明性を許される組織は、皆無にしなくてはだめです。陰謀を働くから。
2004年11月27日
デジカメであります
特徴は主に、パソコンとの連携に生かされ、特にソニーパソコン「バイオ」との
連携に優れている。
動画が得意。
といっても画質は今ひとつだが、MPEGファイルに出来る。
他のメーカーの場合、パソコンやインターネットにとってはちょっとばかり特殊なのだ。
(モーションJPEG)
さて、今回記事にしたくなったのはウルトラマンのカラータイマーのせいである。
ソニーデジカメは、動画の画質を数段階で設定でき、それによって
ファイルの大きさが違ってくる。最高画質にすると、256メガのメモリー
(04年3月時点:11千円 11月時点:7千円 )
にたった3分・・・
一段階画質を落とせば10分なのに、ウルトラマンかよ!
と突っ込みたくなった。
2004年11月26日
bonomi
bonomi
イタリアの菓子メーカーらしい。
ここのカスタードパイなどのパイが実にうまい。
300円くらい取れそうな品質。でも100円コーナー。(コモディイイダ)
私は余計な材料を使わない方が好きなタイプなので、余計に気に入った。
量も多めで、女性なら朝食代わりに出来そうだ。
YZF-R6をRVF400みたいにしてやろう
かつて、コンパクトな600ccレーシングバイクの開発というフェーズが
90年代後半にはあった。
400の親分みたいな軽快さ、大きさ。大きさはともかく、とにかく軽くなったのは確か。
これは、欧米で流行の600ccレースによる功績が大きいと言われている。
そして、この600ccをそのままボアアップし、必要最小限の大型化に留めようという
1000ccのレーシングバイクも登場。
しかし。
そろそろ次の段階があっていいとも思える。
もう600も1000もそれを標準とし、今度はかつての250ccレーシングバイクのサイズで600ccを作る。
YZR−M1そっくりな車体となるわけだ。(これセールスポイント)
1000ccをそれに倣ってしまうと、常人が乗るのをためらうマシンになってしまうので、
これは慎重にフィードバックする。
それが実現すると、かつての400ccバイクの気軽さで購入する人が増える。
扱い易い、コンパクトな車体はいつでも人気だ。
これに、2ストロークエンジンが廃止されて50ccスクーターが
4ストロークエンジンになりつつあるのと、うまく合致させる。
免許制度の改定、125ccまでを原付免許とするもの。
50cc2ストロークの半分しか、4ストロークでは馬力が出ない。
本来倍にするべき排気量を、免許制度の点で見送りにせざるを得ない現状がある。
だから125までを原付にして、パワーに見合った免許制度とするわけだ。
バイク開発の流れと、免許制度はもっと柔軟にマッチングしていいと思う。
数年後には、舗装路レースのGP125は250ccに、GP250は450ccくらいになるだろう。
これも4ストロークエンジンに移行するからだ。
450ccが4気筒まで、250ccは単気筒のみだろうか。
これのレプリカ製品が出るとして、どうせならYZF-R50くらいの車格にすれば面白そうだ。
ただ、いずれもかつての倍の排気量であるが、同じくらいのパワーでしかない。
だからこれも、450ccまで車検なしの軽二輪車になると、本当は整合性が出るのだけど。
年式で区別したほうがいいかもしれないが。
モバタイ3.11の永続トラップ
なんと、style.cssを編集しないと、
管理画面は背景真っ白、ログアウトのリンクボタンも真っ白。
モバタイってログアウトもできないのかよ、とか思っていたさ。
ユーザーチェンジするのにクッキー削除かよ、とも。
トップナビのa属性カラー指定を変更すると楽。
YZR-M1 2004
今年、ロッシとM1について取り上げると例えに出すのが、03年のメランドリ転倒。
これが、公式発表を読むとやっぱりなあと。
横方向に堅いという事は、操舵がスパンと嫌な切れ方をするということ。
傾きの制御が難しくなるのだ。しかも300キロから急減速というような条件下で。
エンジン出力がただ高いということは、乗っている側は気が気でない。
スロットルを握る手ばかりに神経質になり、レースの途中で疲れてしまう。
何より、バイクはコーナーをスロットルを開けることで起き上がっていく。
ちょっと開けてもどっかんとパワーが出ては、うかつに開けられず、
下手な操作をすればスリップしてしまうだろう。
これらの改善として、フレーム手直し、エンジン新設計というのは当然の処置。
逆に言えば、それら当然へ導くロッシは、実にすばらしい。
今までそれが出来るライダーが居なかったのだから。
ロッシは、なるべくやさしい一般語で説明するという。
私も気をつけているけども、専門用語、カタカナ語を使いすぎると、
読む対象は狭まり、理解を求められなくなる。
万人向けのエンジニアとしても、ロッシは優れているようだ。
システム開発で言えば、素人のお客さんに理解してもらえる説明を出来る、上級エンジニアに相当するだろうか。
峠を走る小僧ライダーにしてもサーキット常連にしても、
変ないじり方をしたりして遅くなったり伸び悩んだりする人は結構居る。
其の延長でMOTOGPですらも、自分だけそこそこ速く走れる人は多いが、
マシンを進化させるとか、万人向けのマシンとはどういうものかなどと
理知的に考察、分析できる人は少ないのだということだろう。
2004年11月25日
個別アーカイブ
設定でこれを有効にしてあげないと、
コメントとトラックバックのページが表示されないようで。
(htmlを生成しないから。)
デフォルトのまんまだと、日別アーカイブしかチェックが入ってない。
こっちのウェブログはよかったけど、もうひとつのとこで未設定のままで泡食った。
モバタイも所詮はいきなり動かなくなるポンコツかよ、とかあせった。
当人がリーク
悪いことをする組織。
権勢を誇れるくらいの余裕と自信がある場合。
情報霍乱として、多数の類似情報を流す。
被害者の味方の振りをして、核心に迫る情報も流す。
あるいは、それに釣られてきた被害者を特定して、追い掛け回す口実にしているかもしれない。
何せ核心にせまろうとしたのだから。
不正暴露に基づいて反抗を煽る記事、
やけに高度に詳しすぎる味方、
気をつけよう。
組織というものは隠れ蓑にもなる
たとえば韓国人蔑視。
朝鮮はあれだから、北があれだから、在日があれだから…
たとえば宗教。オウムが、創価が、云々…
官公庁も大手企業もそうだ。
優秀なのも居れば、その逆も然り。実直、悪党然り。
仮に組織として悪に手を染めていても、全員がガンダムのザビ家みたいな
おっかない顔をした悪人と言うわけではない。
これで複数の組織が連携までしてしまえば、なおさら。
A組織の何々と言う勢力、人物
B組織の以下略、といった見方をすべきなのだが、これが見えないから把握しづらい。
私も体験柄、色々な組織を挙げては時に憎しみの言葉を並べる。
しかし創価にしろ会館で接したり、民間で話したりする会員はみんな普通、
むしろ組織の顔として「出来た人間」だったりする。
ただ、組織は勢力拡大や維持などのために汚いことに手を染める部署がどうしても出てくる。
それは場合により、外注だったり連携先だったりするが。
何が悪なのか。何を叩くべきか。
見極めにあたってややこしいけども、そういう見方も大事と言うことで。
スズキ バーディ新型
と言ってもなんだかわかるまい。
ホンダ カブのスズキ版。
これがすごい。
70年代のバイクじゃなくなった、画期的なビジバイ。
思わずほしくなる。乗ってみたくなる。
設計思想が理にかなった、より実用性を考えたもので占められ
それが美しさをかもし出している。
キャストホイールにチューブレスタイヤにして、乗ってみたい。
ダートでスライドかまして暴れてみたい。
それとこれは新聞屋やらないと、やってもバイク好きでないとわからないこと。
新聞屋仕様は最初からキャストホイール。チューブレスタイヤ。
ホイールがよれない。タイヤが潰れにくい。
パンクしても走って帰ってこられる。
そして車体の低重心、重量マスの徹底集中化。
うまく使いこなせば、かなり毎日の仕事が楽しく速くなるだろう。
昨年から今年の私の発想に沿ったバイクとしても、大いに注目。
(そろそろビジバイも新世代になるべき、といった投稿をした)
しかし、めっきシリンダーまでやるなんてスズキは変態だ(w
ガンマじゃあるまいし。いや、おおいに実用的なのはわかっていて
ほめているんだけどね。
それを能力と言っていいかは不明ながら
生まれつき、雰囲気というものを把握するのは得手だった。
ただし、順応は出来なかった。多くの雰囲気には危険を感じていたから。
いま考えると、それだけ現代社会の要素の多くは何かが違っているのだろう。
初対面のうち、理由もわからず恐ろしく感じる人がたまに現れた。
別にヤクザとかではなく、その人に宿る、放出しているものに
本能的とも言える恐怖心が芽生えていた。
其の意味で断言できること。
いま、この日本には明るい先行きを感じない。
それを多くの言葉で語るのはたやすいが、例えるならば末法、終末的であるということ。
神仏の保護がなくなったがごとく、陰謀が暗躍してはばからないこと。
目先の利益に走るのはいい。しかし人間の扱いきれる規模を超えたそれは、
いずれそう遠くなく、自らを滅ぼすだろう。
人間は例え暴走していても絶えず制御されている。
その人形的な生物の、世界的絶対的制御が外されたら。
人間は娯楽作品などの創作を通じて、無意識意識に未来予知を行ってきた。
それら作品群が無理なく明るい希望にあふれない限り、必ず絶望的状況はやってくるだろう。
ハリウッドな終末か、ゆるやかな衰退、無法化か、そこまでは見えないが。
まほろまてぃっく コミックの佳境
まほろまてぃっく(コミック)
実に丁寧な、エンディングまでの流れ。
ひよこの秘密が明かされるなど、全体的に芸が細かい(w
さすがは原作者、なお仕事。
優の爺ちゃん、すっかりクロマティ。
227や369にも救いがあり、終盤にレイズナー後半の要素も入っている。
最後の最後は高田裕三のマイナー作品に同じ。
先にプロットだけを渡されたアニメスタッフ、さぞや泡食らっただろう。
2話でまとめろなどと、ハガレンの比ではない。
ガイナックスとしては確かに、ああするしかなかったと納得できる。
この作品、個人家庭規模から世界、惑星規模までのピンキリの
あらゆる陰謀のセオリー満載。
女房と思っていたら監視者だったとか、真実を知って跡形もなく消されるとか。
社会のあらゆる組織に浸透している地球管理組織とか。
しかもこの管理組織、下位の組織がしくじると、全部その組織の悪事として切り離す
トカゲの尻尾システム。まるでオウムの顛末じゃないか。
皆の衆もマンガを馬鹿にしてはいけない。
馬鹿にされる材料との確信犯で、何が秘められているかわかったものではない。
私はアニメの最終回をリアルタイムで見てわけわからず、
数ヵ月後に遠隔攻撃の襲撃を受けて今のように追い回されるようになって
そこに込められた意味が痛いほど痛感できた。
コミック版は今年の夏ごろまで書かれていたから、
もしや私の近況などがどのような形であれ届いたのだろうか。
1年半のブランクを経て仕上がってきたコミック版には、そういう微妙な変化が感じ取れた気がした。
別に妄想といわれて差し支えない。あくまで感覚的に、そういう感じがしただけのこと。
普段から近況が娯楽作品に投影されてしまう、そんな人間のたわ言。
2004年11月24日
MOTOGP
2004シーズンのロッシ&ヤマハは、
ほぼ昨年末私の言ったとおりに実行して大勝利をものにした。
2003のメランドリのスリップダウンを見ても、多少の性格付けの変更で
勝てるマシンなのは明らかだったから。
来シーズンはおそらく、今年の開発を継続する方向で十分に、
安定した勝利をつかむことだろう。ロッシのようなライダーはえてして
他のライダーも速くなるような味付けにしていくものだし。
ただし、万一にもホンダや他のメーカーがすばらしい方向性を見出してしまうかもしれない。
これは運のレベルだが。
なにせホンダには万年2番煎じ、ビアッジと
リアにこだわりだした感のあるジベルナウ、エースはこの辺だ。
むしろ、中野の理想を達成したカワサキのほうが現実的に躍進しそう。
このメーカーはグリーンで共通するAMDアスロンのように、
ハードウェアの信頼性がいまひとつなのが玉に傷だ。
ちょっと性能アップするとボーンッ…
中野は王子だからニコニコしているが、技術陣は早くそれに応えてやるべきだ。
来年もスタンドをグリーン一色にするためにも。
炊飯鍋 それはそれは地味に、しかししっかり役立つ
最近、ガステーブルでご飯が炊ける鍋が売り出されている。
本当は普通の鍋でも炊けるのだけど、最適化された専用鍋というわけだ。
別に肉野菜の煮炊きに使ってもいいのだけど、厚い土鍋なので多少、熱の保ち方に癖があり、
使いこなすのに試行錯誤が要るかも知れない。
いうまでもなく、保温は出来ない。ただし前述のように厚いので、出来上がり後30分くらいは暖かいままだ。
何より、炊き上がりは電気釜とは異なる。いかにも火を通した感じでつやつやして旨い。
おこげが当然付く(なべ底に並ぶ米は必ず)ので、均一的に100%食べたい時には向かない。
なんというか、鍋をやるときにコンロ二つ用意して炊くとか、
そういう家族団らん行事、生活上のちょっとしたイベントに向いていると思う。
いつもと違うご飯。火を通すとこんな風になるんだと感心、実感しながら。
万一の災害時にも役立つ。
ガスでも、焚き火でも炊くことが出来るからだ。
鍋そのものは実に安い。
4号炊きでも2000円から。
深底で一枚蓋のものは、他の料理にも使いやすいかも。
理屈ではない風味が味わえるので、ぜひお試しあれ。
で、炊き方。
基本的にはまず沸騰させる。泡立ってくるまで強火、
泡が立ったら火を一旦止めるか、弱火にする。
中火から弱火くらいで、泡が立たなくなるまで加熱する。
泡がなくなって乾燥してくるので、火を止めて15分放置、蒸らす。
C言語が「う言語」だったら
いうまでもなく、コンピュータには言語があり、これは英語で書かれている。
(機械語もあるが、これは機械向けに簡略化された暗号。)
とっつきにくさがあるのは、ほぼすべてこれのせい。
マイクロソフト他の製品にどこか、翻訳的なぎこちなさがあったり。
あとは、システム設計に外人っぽさを感じて
日本人向けだったらもっとこうしたほうが…みたいなのも多い。
エンジニアとして現場に入ると、まずやることが英語表記のマニュアルを
辞書を引きながら読解することだったりもする。
そこで「う言語」
Cが三番目だから、あいうえおの「う」。
全部日本語でソースが組めるようになれば、万事解決。
縦書きもお手の物、ハードウェアも日本人がめいめい好きに開発しやすくなって…
まあ、理想どおりに事が運べば苦労はないんだろうけど。
あくまで妄想の類として。
BBSとブログ
2002年末、BBSというシステムでの討論に古さと限界を感じ、
もっと各々が用意したサイト同士が意見を交し合う場が作れないものかと、
アニメイレコムのぼやきのページに書いた。
ブログというのはそれに近くて、2002年のNYテロの時に既に活用されていたという。
つくづくWEB発祥の地、先を行っている。
ただ、一般人にとってブログは日記帳の延長に過ぎない。
これを改変するのは結構な腕と苦労が要る。
結局は既に用意されてて簡単な、BBSがもてはやされ続ける理由なんだろう。
掲示板はログが量で埋もれるし、つまり工作もしやすい。
その辺を実感しないと、ブログに付加的要素がほしいなんて思わないものね。
逆に言えば、ブログが巨大なコミュニティを形成して円熟した時が来るならば、
どういうことになってるんだろうと興味は沸く。
WinnyはじめP2Pのように、スター型ネットワークになるんだろうか。
少なくとも上から下へ投稿が詰まれる原始的ではなくて、
各々が用意した投稿同士が直接やり取りするようにはなるんだろうけど。
ブログだったらテンプレページを別に用意して、相手にいつでも見せられるようにも出来るし。
後はそこに匿名要素(どうせ今と一緒で建前上だろうけど)を
付加するかということ。
ブログ自体に匿名性が高ければ、そのシステムが織り成すコミュニティに
誰もが参加しやすい。ただシステムの特性上、相手が万一ヤクザさんだったとしても
面と向き合って戦っていることにもなるが(w
まあ、匿名性が保たれているかの立証に、オープンソースのスクリプトを使って
透明性を高めることが重要になるんだろう。
こっそり改造とかしててもばれて追及されちゃうような。
ただし、セキュリティを保つのは大変だろう。
第一、そんなことは利益に結びつくとは限らないから(現状では結びついてない)
誰もやらないかもしれない(w
2004年11月23日
セキュリティーポリシー 逆転の発想
たとえば私は常日頃からプライバシーを覗かれ、盗まれて盗用、あるいは公表されたりしている。
相手は心さえ読む。五感を盗まれたらセキュリティーなんて破綻するのは
誰しも理解できるだろう。見聞きしているだけで漏れるのだから。
秘密は多いほどゆすられるし、公開する価値が付いてしまう。
つまり逆転的に、秘密を少なくするという手法が考えられる。
すべてさらけ出してしまうのだ。オープンソースの概念にも通じるだろうか。
「ネットで個人情報は安易にばらさないように」確かに一般論だ。
しかし一旦付け狙われて命まで危うくなったら?
どうせ隠していてもどんどん掘られて暴かれてしまうとしたら?
事実上秘密とは言えないのだから、一応精査した上で公開してしまえばいい。
実態を公開することで確保できる安全もある。
盗まれないものもある。それは現物だ。
データは盗まれてしまうが、物理的存在である金銭や貴重品は手元にあれば勝手には飛んでいかない。
21世紀に入り、これまで尋常ではなかった概念で悪がはびこりだしている。
今までの常識では身を守れない。各々きちんと独自の思考回路で思案して対策しよう。
2004年11月22日
ティオ
ウマゴン
マスカレードスティルスイート
あれは暇があって意欲に満ちていると、確かに癖になるかも。
さんこめ
にこめ
ねむい。
ブラジルなんか嫌いだ。
真夜中にうるさい飛行機も。
ついき
いっこめ
いっこめのテスト
改行
2004年11月20日
ジェットストリーム
タイムストリップ