« 2005年02月 | メイン | 2005年04月 »
2005年03月29日
復讐、仕返しにおける間違い
腹がたった、気に食わない、
仕返しとはいかなる理由でも発生する条件だろう。
元は腹を立たせた人間が悪いとしても、
仕返しの方法によってはずっと、それを仕掛けたほうが悪者になる。
そんなことは誰でもわかっているのかと思いきや、大の大人でも案外そうでもない。
大人は組織やコネを通じた暴力に頼るからだ。
そしてそういう、暴力に頼って頭脳が小学生以下のままの人間たちが
組織的ストーカーなどという社会を揺るがす暴力行為に訴え
人殺し、抹殺を遂行して回っているのが日本の現状。(あるいは昔からの風習だろうか。)
私はご覧の通り、角が立っても我を通すし、言うべきと思えばいつまでもはっきり言う。
それが気に食わない人間も出てくるだろうが、
じゃあ、弟が心不全で死ぬようにしたり、
その他家族が私を恨んで殺そうとしたり、
数年にわたり、心臓やその他全身の健康を奪われるような遠隔攻撃を受けたり、
政府機関まで入り混じった組織的追跡を受けたり、
なに、角が立つだけでここまでの抹殺対象にならなきゃいけないの?
と。
こんなの、恐怖政治、全体主義、といわずして何というのだ。
「明日からおはぎ好きじゃない人は死刑」
これは極端としても
「人付き合いがうまくない人は死刑」
「我が強い人は死刑」
戦前の日本でも、ここまでひどくは無かった。
実際、誰に問うてみてもこの件については、真っ向から反論してきたためしがない。
仕返し側が無理と、誰でもわかるからだっろう。
結局、新興宗教の強引さ、唯我独尊の性格がにじみ出ている活動だと思う。
自分たちが正しく、相手を論破して引き入れるためなら時には殺してでも、という過激さ。
彼らはこういう言い方をよくする。
「人に恨まれるのって怖いね」
つまり、自分たちは圧倒的暴力手段を持っているからさからうな、という威圧的な態度。
2005年03月28日
年金制度 とか単一視点だけではなく
田舎でも都市生活を送れば現金コストは都会と変わらない。
家賃も、食料費も、ほとんど一緒だ。
なのに生活保護の場合、田舎やちょっとした小さい市町村は容赦なく安い。
この辺は時代に見合っていない。
お金だけではもはや、年金生活は成り立たない。
たとえば、田舎での暮らし、さらには低コスト、現金非依存な暮らしを
用意、提供できればいいのではないか。
現地でなっている作物を食べる分には現金コストはゼロに近い。
過疎地域には人が居ない現状を、地域の有効利用で補完できる。
質素な家(仮設住宅並み)、自然に依存した暮らし。
結城市での生活体験からすると、こうした金に頼らない暮らしが一番
福祉の低コスト化に適していると思えた。
むろん、作物には不作もあるけれど、その万一だけを保証する方が
年金コストも安くて済むのではないか。
金勘定だけで何でも動かそうとするからいけないのではないか。
現物をうまく融合させることを考えてもいい次代ではないだろうか。
人一人が生きることを金額でしか見ないから、人一人が生きることがどんどん高コストになる。
なぜならサービスにかかる価格は上がっていくのが経済、資本主義社会の仕組みだから。
福祉介護がすっかりビジネスになっている現状を見ても、それはわかることだ。
日本という国は地方、田舎、自然、この辺の売り出し方に疎いというか疎くなってしまった。
都市や文明に招き入れるのはもう飽和状態だ。
これからは出し入れ双方を(施政、企業活動などの複合的PJとして)プロデュースした方が良いと思う。
それはたとえばリフレッシュなどとして、才能の発掘や開花にも貢献するかもしれない。
ゆるいがひまな暮らし、きついが刺激のある暮らし、二分化。
地方都市も元気を取り戻すかもしれない。
2005年03月27日
ヤマハジョグ90とミシュランS1
今回はRタイヤをS1の3.5、つまり一番太くて大きいのに変更。
これがまた、実に狙い通り。
標準の80/90は小さすぎて、加速コーナーとも俊敏にはなるが
剛性が低くクッション性が悪い、ホイールを打ち易いなどのデメリットがあった。
何より車体の太さに見合っていない。おそらく旧型の設計を引き継いでしまっているための
ミスマッチだろう。
このサイズのチェンシンともなると、リアだけを曲げるように身を乗り出さねばならない。
これを少しでも崩せば、途端に曲がらなくなって怖い思いをする。
クッションの悪さとアンダーステアの二重苦。(これには短すぎるRサスにも起因している)
これをミシュラン3.5にすると、様々な点で問題が解消される。
・形状変更による曲がりやすさ。
・大型化によるクッション性能向上
・大型化によるハイレシオ化
・大型化によるリア車高アップ(約2cm)
・ハイグリップ しかもコンパウンド低依存で長持ち
かまぼこ型からおにぎり型になるので、無理なくコーナリングやバンクが出来る。
サイドウォールが大きくなるのでポンポンと小気味良く跳ねてくれる。
ハイレシオになり、発進からスルスルと前へ進む。
リアの車高アップでキャスターが起き、オーバーステア気味になってくれる。
ミシュランハイグリップは合成ではなくゴムと変形でグリップさせるので、
最初は暖める必要があるが特性が良く、溶けないので長持ちする。
惜しむらくは、ノーマルチューンには不向きということだ。
82ccではパワー負けしてしまい、加速が緩慢だったり、向かい風でも加速しなかったりする。
低速ではパワー負けが出にくくて便利だが、速度が伸びるほど歯がゆかったり怖かったりする。
高速ほど、実は俊敏さが武器だからだ。
せめてスポーツマフラーなどのエンジンチューンが欲しいところ。
ノーマルでの妥協点は90/90だろう。
ただしこれらの要素が無くなるとどこまでも緩い加速を続け、95kmくらいまではコンスタント。
3WF初期型のハイギアなら、98kmはいくかもしれない。
この辺の違いは、オフロードレーサー80ccに乗るとわかる。
ラージホイールとそうでないのを乗り比べれば、違いに愕然とするだろう。
川越でコースと車両をレンタルできるところがある。
2005年03月23日
3WF JOG90 ローラーほか
7gローラーに変更する際、ボスワッシャを外し、
それをランププレートより奥に入れておくという横着をした。
これが大失敗。ケース側に寄ったベルトがプーリーに押されて広がる際に
ケースに接触して抵抗が出ていたのだった。
エアクリーナーに吹き戻しがあるし、変だとは思っていたのだけれど
これじゃ焼きついているのと同じだから、そりゃ吹き戻すはずだ。
燃費はどういうわけか31kmになったり26kmになったりと不安定。
しかも発進時にビアッジウイリーしたり、のそのそだったり、これも不規則。
実に判断に困ったものだ。ヤマハらしいといえばそれまでだが。
基本的に駆動系が熱くなってくると、センタースプリングがへたれたりして
そういうことになるらしい。実際、冷えているうちの発進加速はマジェスティの急発進より上。
チェンシンRタイヤもそろそろ交換時期。
今度はミシュラン3.5をアクシスホイールに装着する。
これは急発進が怖くなってきたことへの対処でもあるし、
最高速重視にするためでもある。
80/90では車体の太さに見合わず、切り返しやギャップで安定しにくい。
まるで自転車のタイヤのようである。剛性も低い。薄すぎるのだろう。
しかも浅いから段差ですぐにホイール打ちする。特にリアは大きなタイヤの方が良い。
フロントは3.0か90/90を予定。
以前も書いたが、この82ccエンジンはパワーバンドが狭い。
排気ポートを絞ってあるのだろう。
高回転特性だから、変速中は周囲に抜かれるほど遅くなり、(冷間時は別)
60km/hくらいから恐るべき加速が始まる。
80ccで90〜100ccに対抗すべく作ったのだから無理もない。
だから、変速をパワーバンドで行うにはWR7gでも足りなくて、
6.5gでもどうだかと言った所か。(まだ試してない)
だいたい、パワーバンドをキッチリ合せてもすぐに熱ダレして腑抜け特性になる。
この辺はシンプルな無段変速装置の弱点としか言いようが無い。
ギア車なら、自分の思うように引っ張り、変速できるからだ。
キタコプーリーでは舗装のよい平坦な直線で、向かい風で無い限り88程度はコンスタント。
同じようなチューニングをしていない限り、たとえ113ccでもほとんど付いては来ない。
むしろすぐに消耗する無段変速の宿命で、大半が最高速を落としている。
しかしCR80というレーサーはものすごい特性とパワーだ。
つまり空冷であることがポテンシャルダウンの最たる要因なのだろう。
2005年03月20日
3WF ローラーセッティング
7gを6つにした。
まさに50ccのお化け。まったく同じフィーリングで750をかもる発進加速。
車体が50ccのだから、ちょっぴり恐ろしい。
しっかり車体にしがみつき、一体感で操っていなくてはならない。
ただ、どういうわけかベルトが滑り出した。
ボスのワッシャをはずしたのがいけなかったか、
キックのギアに556軽く染ませたのがいけなかったか、
燃費が落ちているから間違いなく滑っている。
回転の上がりが悪く、
まるでごつごつしたローラーのせいで変速が中々進まない症状に近いときがある。
軽すぎるローラーで外へ行かないのだろうか。
いずれにせよ、冷間時はとても調子よい。鬼加速だ。
これが解明の手がかりになるのだろう。
どの道こんど開けてみないと。
2005年03月14日
母
数年ぶりに秋葉原を徘徊した後、(名機ロジテックホイールのオフィス流れ品をゲット)
実母の家に行ってみた。
とはいえ音信不通で早数年。まだいるかを確認しに行っただけ。(オートロックだし。)
まだ、住んでいた。
山手線円内の高級マンション。
私と弟を満面の笑みで呼び寄せておいて
二週間で性格が合わないとか何とかほざき出して荷物ごと追い出した。
実父は少なくとも表面的には私を見捨てたことは無い。
一時期利用価値として金に目がくらんだりはしても、だ。
だが実母はたった10日でそれをやった。
母は昔から銀座へ遊びに行きタバコや酒に溺れるタイプの女子大生上がりだったが
(毎日ワインのビンを買いに生かされたのは私だ。)
(転んでガラスで手が血まみれになっても、千円渡されてまた買いに行かされたので、酒屋の親父が怒っていた)
やっぱりそういうのの延長で自分の子供を気に入る気に入らないでゴミ箱に捨てたのだった。
というのも、今でも異父妹は大事に育てられてお受験教育の毎日だ。
典型的な学歴信奉、それに見合わなければ金を投げつけて塵芥の扱いで追い出した。
大学へ25歳からでも進学しろとか(当に魅力を失っているのに)
わがままや独りよがりなところを指摘するとうざったがるとか
そんなもんで、まさか追い出されるとは思いもよらず
25歳でも相当なトラウマとなった。電車に飛び込むか悩む毎日、
住処も決まらずホテル流れの日々。
離婚した母に会うのは15年ぶりで、そりゃもう有頂天だった。
方々に触れ回って、よかったよかったというそのわずか10日後の放逐。
人生最後の幸せだったかもしれない。
あれ以来、あんなに素ではしゃぐことはまったく無くなった。
話は戻るが、マンション前まで行くと嫌な記憶がフラッシュバック、
一刻も早く立ち去ることにした。
父や義母との絡みは多少進展というか改善もあったのに
なんで実母だけはのうのうとまだあそこに居るのかと、
そんなせこい考えがよぎりだしてまた嫌になったからだ。
もう死ぬかもしれない、そんな衰弱傾向が続いている中では
私の人生は呪われていたとしか思えない。
不思議なくらいにろくでもないことばかり引き当ててきた人生。
とりあえず、愚痴愚痴と手紙を出してみようと思う。
これは親への甘えであり、別に金品など物理要求しようというわけでもないし。
散々親にに振り回されてきた人生だったのだから、最期に愚痴くらい聞いてもらわねばね。
2005年03月13日
派遣型アルバイトの現状
グッドウィルという所は身内では大体評判が一緒。
いい加減、程度低い。
組織体制整備は最初だけしっかりしている。(プランナーは優秀なのを引っ張ってくるらしい)
しかし運用する人間のレベルが低くてどうにもならない。
使われる側は不満たらたらが一般になっている。
時給単価が安い。
底辺の仕事が多くなり、儲けが少ないせいでやる気や待遇に繋がらない、
そんなところか。
そうした雰囲気を裏付けるように、グッド全体が追い出された現場も見た。
短期だといわれて向かってみれば、長期目当てで試用期間というだけだったり
(マッチングの努力がみられない)
初日から仕事をしたのに、ごまかしてただ働きにしようとし、陰口で初日仕事して無いだろうが、などと罵ったり。
(派遣でこんなことを言うのはグッドだけ)
20そこそこの組織でもまれてない若者が、ひとつの支店を任されていたりするからこういうことになる。
マイワーク、グッドウィルなどはいずれも
株式公開などを目的として過大に拡大を続けている。
おかげで地域同士の融通が利かない。大宮の仕事なら、大宮の人材しか使われないからだ。
支店同士で縄張り意識もあるだろうし、以前のように融通が利くはずが無い。
結局、誰も本気で相手にしなくなる。
金の無い間のつなぎ、くらいにしか。
建物のつくり
最近のワンルーム初めとした物件は、西洋風で洒落たデザインや作りが多く
メカニカルに工夫した機構も多い。
しかし、職人の技は見られない。
プレハブやポン付け前提で、すごいメカニズムではあるけど、
板が反ってたり割れてたり、釘の打ち方や塗ってある塗料など見ると、悲しくなってくる。
80年代までに活躍したような物件だと、好対照だ。
システムな作りではないから、すべて職人がその場で作る。
柱、壁、キッチンの一部、雨戸に至るまで。
構成物は確かに古臭いが、精度といい仕上げといい、惚れてしまう。
当然のように梁も柱もまっすぐ、しかしこれが意外と中々お目にかかれない。
手作りのブリキ雨戸など、よくこんなシンプルな素材だけでと感心する。
思うにバブリー、高度物質文明はすべてのものを工業製品にしてしまった。
パンや米、おかずに至るまで。住む所も着る物も、要は衣食住。
さらに遊びまで。だってみんな野では遊ばず、工業製品を流行に合わせて買っているだけ。
そりゃ、人間だって機械的歯車になるわ。
2005年03月08日
この幽霊、実に働き者なんですよ
フジサンケイとライブドアのやり取りを見ていると、
つくづく人間は未知、特に不可視のものには疎いんだなあと思う。
(把握しづらい、わかりづらい?)
先日SEと話をしたけど、地方へ行くほどソフトやシステムの価値がわからず、
金ばかりバカ高いように見られてしまうという。
程度はどうあれ都内も似たようなもの。
ニッポン放送社員の告白などを見ても、インターネットやその付随要素を
理解したうえで無価値とか、そぐわないとか考えているとは思えない。
むしろ両者の融合の点においては、ホリエモンはじめライブドアの方が
ずっと上手ではないだろうか。
スーパーのパン
メーカーのパンで、一番誠実というか職人気質で作ってるのは
神戸屋だと思う。
食パン、イーストフードとか使わない徹底振り。
味が香ばしさが全然違うよ。
200円ロールケーキ、モチモチで、この値段でいいのかと頭をかく。
フナショクやヤマザキのとはえらい違い。
2005年03月06日
カチンコチンに焼きついてますねーひょっこり日本島
人間というものは文明の原始にさかのぼるほど、全体的に社会というシステムを理解しなくて
厳格な規則で縛り付け、徹底させる必要があったわけだ。
しかし現代はいずれの人間もハードウェアソフトウェア共に完熟し、はっきり言えば誰しも馬鹿でもない。
地方の辺境の能力を低く見られている人が、はっとする事を言って感心させてくれる。
中央の秀才が、ただ周囲にならって同じことを言い、多少の独自性を持たせているだけだったりして失望する。
いま既存の支配力は、日本を
・より強固な既存システムでの民衆縛りつけ、完全監視支配体制(住基ネット、盗聴法、ストーカー規正法の組織的ストーカーの除外etc)
・欧米並みの貧富二極化(外注労働化、勝ち組負け組etc)
に導こうとしている。
しかし現場を見ていると、金持ちが全然その立場に嬉しそうでなかったり
むしろ面倒ばかりでやつれたり追い詰められている始末。
むしろ器用貧乏が金との付き合いをそこそこにして人生を楽しんでいる。
無論定番どおり、その逆の方がこと庶民には多いが。
この流れは必然だが、これを無視しても社会システムは疲弊瓦解の道を辿り続けるばかり
(で、人間だけが器用に環境適応を続けるばかり)
これはここ数年の坂口厚生労働大臣の発言内容などを見ても明らかだ。
権力を気取る人間から暴力を受けるたびに言う言葉がある。
「民あっての権力ぞ。稲を根絶やしにしてでも田を守ることに固執するか」
人というのは、立場を与えられるとその言葉や概念に固執して、偏った暴走にいたることが良くある。
これからはもっと、立場というものはあいまいにして現場裁量、臨機応変な「立場というものの設計の改変」が
あってもいいと思う。
30円のコピー代請求される
↓
数人の役職のはんこをもらい、数枚の書類を作成(コストで数百円以上)
↓
はい、30円。ただし数日後(30円はする封筒と便箋?さらに下手すると交通費とか食事代とかetc)
一般人、ウホッ
お役所、だってしょうがないじゃなーい
しょうがないじゃなくてさ、ということだ。
私だって、こんな仕組みを維持するために殺されるんじゃ
怨霊になって祟りたくもなるさ、きっと。
で、別の話。
昔「みんな右へ倣えばかりでいいんでしょうか」というポスターを掲げた政党があったんだけど
あれはどこか消えちゃったのかな。別物になったのかな。
でも、広宣流布って究極の右へならえだよなきっと。
ボソボソ…
右翼左翼ってなんじゃい! (もっとー) ※くりかえし
子供のころから、この概念が意味不明だった。
学校の先生が説明してくれても、やはり理解できない。
そういうものだと、頭に入れておくしかできなかった。
日本では、右翼が保守回顧でヤクザと大差なく、
公安という実質的警察がこれを優遇して連携行動をさせるという。
で、左翼という革新は危険なゲリラだとしなくてはいけないようで、
私みたいなのはこれに該当していることに勝手にされて、命まで陰湿に狙われている。
つまり実質、日本というのは左翼を殺し、目障りな人間というだけでも左翼と認定することで殺し
(日本ではサヨク=暗殺の口実)
そうやって大人しい人間ばかり生かしてきたから大人しい国になっているのだと、
殺伐とした体験の中で理解した。
そりゃ、世の心臓病、精神病、突然死の大半がアクの強い人間の暗殺によるものだとすれば、
もやしばかりになっちまうわな、と。
で、話を戻す。
近代日本ははっきり言ってバカな概念を信奉してきたものだ。
日本が野鳥ならば、左翼をもいだらどうなるか。
二度と飛べず、死ぬしかなくなる。
なのに右翼だけがかわいい手駒だといって生かし、左翼は殺し続けたのだ。
世界的には保守、革新のみであろう。
新旧どちらかに傾く、あるいは一時的にどれかだけになっても、
物事はとりあえず進んでいく。これは概念的な矛盾はない。
明治以降だろうか、国民皆兵で急成長する時代は終わったのだ。
あほな概念で共同幻想を見ている時代は終わった。
もうちょっとここが個性的能力を発揮してもいいじゃないか、というか
むしろそうならねば閉塞するだけではないのか。
決して政治活動は嫌いじゃないし保守も革新も偏見はないつもりだが
国内での事情と、実際にこんなつまらない人間の命まで脅かす無法振りには
辟易、激怒、様々な負の想いを抱いている。
2005年03月05日
箱型バイク
つまり、完全密閉空間付き、クルマのようなバイク。
図を描いたりして提示していたが、実際にホンダが電気自動車で同じものを実現していた。
東京電力の支社においてあることが多い。
キャノピー50のように屋根が付いてて、トランクが後ろにあって、
サイドは幌布で塞ぐ。
これを250cc以上で実現すれば、快適性や運用性でクルマに近づき、
需要が伸びると思う。ただし二輪では危険性やデメリットもあるので、
(足つきを自動化するにあたっての面倒とか、横風対策とか)
やはり三輪がいいだろう。
というか、すでにフォルツァやマジェスティに装着する屋根は売ってるんだよな。
横風といっても、雨に濡れなければ急ぐ必要もない。
ただし、前ワイパーは必須だろう。