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2006年04月09日

モトジーピー2006 カタール時点

モトGP。

開幕はロッシ散々だったけど2戦目は勝った。初戦は振れが出てたんで改良したっていう。納得。奴のドクターぶり(SE要素)は半端じゃない。
よくあることというか、ホンダはエース不在開発リーダー不在なんだろうな。ペドロサがすごいとしても育てる人間が居るのかどうか。
なかよし並列グローバリズムも結構だけど、レースみたいな戦いではドゥーハンやロッシ、ウォーレンやジェリーみたいのがいないとね。
そういうのを適材適所というんだろうけど、世の政治やら権力やら、大きくなるほどよく間違ってきてる。どっかの政党とか。
万事は楽曲やその演奏に通じるのかな。


いやしかしMOTOGPマシン乗ってみたかったね。前からNSR500のりたいとかいった妄想は言ってたんだけど。
4年前ならともかく、今は謀略絡みで体潰されちゃったから物理的に無理だろうな。
サーキット通いしたりリッターやGP125マシン借りてみたりレース参加を考えていく中で、どういう機会を与えられてどれだけ鍛錬習熟すればいいかイメージは掴んでいたけど、
そこまでやればなんとか、と思えたあの頃と今では余りに環境が違う。



こっちは転載。

http://www.maderv.com/Diary050729/20050729.htm
さて、オンリーワンブランドを目指すという健全な思考を抱いたヤマハと違い、ダークサイドに魂を売ることでオートバイ業界の文字通り暗黒面を支配するホンダについても語ろう。
 我が国のオートバイメーカーは、元々はヤマハが1番強い地位にいた訳だが、アメリカでの成功をバネに、その内ホンダがのし上がってきた。そして、2サイクルの強さでWGPを席巻していた80年前後のヤマハに対して、ホンダは自社の4サイクルのイメージに執着すべく、NRを投入したが、どうしても勝つことは出来ず、泣く泣く2ストで参戦するハメになった。しかし、ホンダはGPを4スト化して、自分の力を見せ付けたかった。
 そして、環境問題を武器に、政治を働かせた。結果、motoGPは4スト化された。ホンダは技術力を見せ付けることに成功し、多くのGPライダーは、機械の体をタダでくれる星、つまりホンダを目指した。
 しかし、ライダーとしての才能だけでなく、自分を表現する才能にも恵まれたイタリア人のチャンピオンは、機械の体になることを拒んだ。そして、星野鉄郎のように、機械の体をタダでくれる星から逃げ出した。戦士の銃を持って…。
 もろちん、ここで言う戦士の銃とは、ジェリー・バージェスのことである。ホンダに乗るライダーに必要なもの、それは機械のようにつまらない人間になり、人間性を否定してホンダのオートバイを速く走らせることである。
 しかし、星野鉄郎が逃げだしたことでホンダの計算が狂った。
 そこで再び政治を働かせることにした。排気量の縮小である。2007年からは、ホンダの圧力でmotoGPは800ccのマシンとすることになった。その際、ドゥカティの提唱したニューマチックバルブの禁止は無視され、WCMの提唱したギヤボックスの段数を少なくするという案ももちろん無視された。理由。どちらもエンジンの高回転化を阻む、ホンダにとって不利な条項だからである。

 さて、motoGPは、皆さん御存知のように、白雪姫と七人の小人の世界である。もちろん七人の小人とは、ヤマハ、スズキ、ドゥカティ、カワサキ、プロトン、WCM、アプリリアである。しかし、アプリリアはすでに餓死した。恐らく2007年を前にして、WCMとプロトンも餓死するだろう。スズキ、ドゥカティ、カワサキも餓死寸前まで追い込まれるだろう。そう、motoGPは、おごれる者久しからずの格言通り、色々なメーカーが挑戦するものの、80年代からは、基本的にHY戦争なのである。そしてこれは、基本的には政治的な争いである。まるで自民党内の角福戦争のようだ。他のメーカーは、何の力も持たない野党のようだ。これは、健全な見方を改め、ダークサイドに身を置けば、ある種面白いストーリーである。
 郵政民営化よりも、政治を角福戦争にしたほうが面白いことに実に似ている。

 窓を開けて太陽の光を浴びてみよう。
 では、我々一般のライダーにとって、こうした争いは役に立っているのだろうか? 難しい質問だが、私は否定的な考えに傾倒する自分自身を抑えることができない。技術の進歩に対しても懐疑的だ。

 仮に、私が16歳の時にサーキットでポピュラーだった、ヤマハのRZ250が、現在でもサーキットにおけるスタンダードだったとしよう。たしか RZ250は当時40万円位の車両販売価格だったが、最近のサーキットにおけるスタンダードマシンは、みな100万円から150万円位するので、ざっと 100万円もコストが上昇してしまった。仮に今でもRZがスタンダードだったならば、サーキット人口はここまで減少することもなかったのではないかという想像を私はよくする。

 環境問題を扱う学者達も、私と同様に技術の進歩に懐疑的だが、彼らは、技術が進歩するのであれば、自動車の排気量は小さくなるハズだといった皮肉を言うのが好きな輩である。理由は、同じ馬力をより効率よく少ないガソリンで発揮できるようになるのが技術の進歩だからだ。しかし、現実には、技術が進歩すればする程、市販車の排気量は増加していく。理由。消費者のニーズはエスカレートし、メーカーも火に油を注ぐからである。

 しかし、ここでエコロジストの意見を真摯に受け止めれば、技術の進歩により、本当は少ないエネルギーで効率良く移動できるオートバイを尊ぶべきだと私は思う。
 そう、そういった意味で、私はヤマハの電動スクーターに大きな期待を寄せている。こんな素晴らしい乗り物を開発したヤマハに心から拍手を送りたいと思う。よっ! スゲーぞヤマハ! とっととmotoGPなんて撤退しなさい! そうすればホンダなど裸の王様だよ。

 えっ? 何々? スズキとカワサキはどうすればいいって? あなた達はワンメイクレースに力を入れなさい。

うん?でも4ストローク化はヤマハも乗り気だったけどな。YZF−R1が好調でそれでいけると甘い考えがあったんだよね。
むしろ、HRC社長が「ヤマハはR1があるからいいだろうけど。2ストロークはまだまだやれる!」って怒りのコメントして、ホンダ社長に怒られて後日撤回したんだよ。

というか4ストロークの骨子はドゥーハン発言が元じゃないのかな。
98年だかに「1000cc4ストロークなら面白いね」ってインタビューがあった。

投稿者 大尉 : 2006年04月09日 12:00

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