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2006年08月16日

慰霊ならまず霊を見よ

http://www.asahi.com/national/update/0816/TKY200608150568.html?ref=rss
「なぜ首相参拝がいけない?」 靖国に若者たち
>「こっちにはこないの」「えー」。首相の参拝が終わると、そのまま参拝せずにきびすを返す若者も少なくなかった。
> Tシャツ、ジーンズ、キャップ、茶髪。見た目は、渋谷や新宿などにいる若者たちの姿と何も変わらない。

それ上祐だって追っかけちゃうようなミーハーだから。靖国とか意識してないし。

>様々な服装をした若者たちが集まった。初対面らしく、自己紹介をして頭を下げている。
> 「国を思い、先祖を思う。正しい方法で粛々と靖国参拝する」「参加者の史観、思想信条は問いません」。掲示板サイト「2ちゃんねる」で、前日の未明に集合場所や時間が書き込まれていた。ネット上ではなく、現実社会で集まる「オフ会」。

それいわゆるネット右翼とサクラと一部の感化された人だから。一般人と微妙に違うから。

>女子大生(22)は友人と午前5時に家を出て、到着殿前で小泉首相を待った。「連日、これだけマスコミで騒ぎになっているので、歴史的な瞬間に立ち会いたいと思って来ました」。参拝について言った。「終戦記念日に公式に参拝するのは、どうかと思う」
多いから。まだまだ。


御巣鷹山の霊魂は天に召されていた。そういう静けさがあった。

英霊なんてひとつの場所に固まっては居ない。ここに集う対外的危険性や懸念材料を考えれば、先に「配慮性の対策」がもっと進んでもいいのではないか。
霊とは、生きて参る人に懸念があり不安材料があればそれを感じ取るものだ。落ち着いた場所で安らかに慰めて欲しいものだ。
内の人間は目を三角にして参る。外の人間は目を三角にして非難する。たまるまい。
もっとも、先の大戦の霊などほぼ全て昇天してるだろうけどね。もはや生きる側のこだわりだけの問題。

懸念、不安材料、固執、対立などネガティブマインドに近寄ってくるのはむしろ悪霊、怨霊、悪魔。人を狂わせ争わせる原動力。
なまじ参拝者が霊をきちんと感じたことがないために、何かずれた方向性で進んでいる気がする。
いわゆる霊感体質とかそういう話。

うちの家庭内でも同じようなことがあった。
犬猿の父母が弟の墓をめぐって争ったのだ。彫った名前を消そうとしたり、俺が金だしたんだとか威張ったり。
霊は口出しできないしたまらんさ。まだ数年だから意思が残ってるかもしれんし。俺はそこだけは厳重にいさめ調整した。

靖国は一度行ったけど別に二度と行こうとは思わない。霊的に感じ取るものが何も無かった。おっかない黒バスは居るけど。
なんと言うか、あまりに荘厳で、黒バスが居て、あの場所だし、慰霊参拝を強制されてるようなプレッシャーがあった。

強き霊験のおわす赤坂日枝に詣でて霊的に清くあるよう努力した方がずっと良い。
あそこの気配が感じられない人々が靖国参拝がどうとか行っても不毛な論議は終わらないだろう。

昨日の公式参拝のメリットは、国を二分して論議を呼んだことだ。
小泉首相は行動的でそういう契機を良く作ったが、行動自体を褒めるべきでないことが多いのは当たり前。

投稿者 大尉 : 2006年08月16日 11:33

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