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2005年12月11日

自分たちの姿が水際だからこそ

普段の私は、「人々は操られている。」を基本に訴えている。
思えば、まるで強制だけで無理が通っているような論調だ。だがそれは微妙に違う。

世間が、民衆が、ちょっとだけ背中を押されれば狂気に走る、そういう水際にいるのだ。
そこまで世界中を長い時間をかけて誘導したのも悪魔の仕業か、そこまでは断言できないけれど。

だからこそ危険だ。多くの人々が水際にいるのだから。確固とした健常な人々ではない。

金が銀にはならない。男が女にはならない。水が下から上には流れない。
そこまで極端ではない。物理法則(積み木のようなもの)はほぼ守られながらも手練に操られてるだけで。
いきなり仮想世界の万能さは持ち得ない。

松下のCMがあんな差し替えになるなど、操り手の悪影響はだいぶ重くなっているようだ。

いつまで私の提唱する概念を無視したまま、「現場の犯人が悪い」「ただの偶然」で
済ませることが出来るだろうか。

投稿者 : 09:34 | コメント (0)