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2006年01月03日
罪も、争い(憎悪)も、作られる。主に追込むための手段として。
身内同士、内部同士を争わせる軍事プロセンスな謀略手法(代理戦争、内戦と同じ)、これをこの3年間説いてきた。
そしてこの手先に親族がなってしまっている気配をこの3年間記事にしてきた。
昨年秋、父と話す傍らの若者が「許すと思う?許すわけないだろ!」と叫びだしたのは、
父がその若者を操って言わせたようにも見えた。これは組織的尾行でやってくる人間がよく使う手だ。
3年前、大して追い込まれる、責められる材料はなかった。本当になかった。
邪念に満ち催眠的に強く思い込まされた親に「弟が死んだのはお前のせいだろ」と言われて「はあ?」と返す構図くらいだった。
その後急激に、暴力か権力によって社会中に根回しがされ、さも私が指揮官でなにかをさせているような仮想的風潮が続いた。
しかも意図して失敗作になるようなプロジェクトも少なからず見られた。
前述の連中はどんな壮大な罠でも張る。異常気象や天災だろうが、物騒な事件事故だろうが、力にものを言わせた根回しだろうが。
その意味で、一見善意で行われたそれら風潮の多くがただ個人を追い込むための罠、責める材料を増やすためというチンケな理由でしかなかったのでは?と。
一昨年だと自信を持って言えなかったが、今は結構確信がもてている。
父は最近言った。「正しいことには人が力を貸してくれる」と。
だがむしろ現実だけを見れば、父の復讐の理由に対して国家の暗殺要員が力を貸しているだけにも見える。
我が一族潰しの罠だというのに、エサの復讐劇に取り込まれて満足している、情けない構図が。
結局は実像を求め率直に会話をするしかない。だがこういう人々は虚像を頭に思い描き憎しみを増幅するようにインプットされて例外動作ができない。
決して解決しない。そういう人為発生的怨念が国内で増え続けていくだろう。魑魅魍魎の気配で満ちていくだろう。
結構以前からこのサイトを見ている、振り回される側の業界関係者もいるようだ。
あなたがたは代理戦争に関わるべきではない。演出された壮大な親子喧嘩には。
純粋な子供の娯楽を、血生臭い死闘の気配にみちたアイデアに染めるべきではない。
だが、そういう時代だ。