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2006年04月16日
神業(魔術 超科学)的なことが幅を利かせてきた時代には、組織暴力もそれに染まるのか
画像の通り、キリスト教の教えと、私のような人間の被害や他体験の内容は酷似している。
心への囁き、邪霊の罠、超能力やまじないへの誘惑、邪霊に支配された場所では物音が立つ(ラップ音)、など。
普段から「どこか西洋的な邪悪さ 黒猫やカラスが目立ち、選民的」という主張をしているがこれとも一致する。
http://www.geocities.jp/kasumin777/
単純に考えれば、キリスト教すごい、である。
しかしうがって見れば、キリスト教圏はこうしたことを信じ込ませるためのノウハウを国家的に保持している可能性もあり、
そうだとすれば単なる自作自演の罠に過ぎない。私はあちら系の政治経済批判もしているし、日本にそのノウハウが輸入されてるかもしれない。
「女神転生」のようなことが現実に起きているとしたら、欲望のままに悪魔と契約関係を実現して奇跡神業を手中にしている者たちが居るのかもしれない。
とにかく、その教えの警告はためになる。
・感化されるな、避けろ
大いに賛成だ。感化されて行使している(らしき)連中の多くはろくなものではない。
悪魔の技に染まれば、悪魔の心になるのだ。その辺を古来より正しく教えてきたのが宗教なのだろう。原則的に「デルタギア」は使うべきでないのだ。
ただ宗教は信徒となると布教にお布施と現実的な縛りがある。
清い教えはそのエサの性質もあり、付き合うスタンスは慎重でありたい。判ればいいのであって染まる必要まではない。
活動実態が胡散臭かったりしても、布教内容を馬鹿にすべきではない。
盲信せず、侮蔑せず。